桜餅の起源

TVで5月12日桜餅の特集をやっていました
・興味深ったので色々調べてみましたーが
・結論は全く別物で有る事が判りました
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桜餅の系譜を図にしてみました
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桜餅には2種類有るそうです”道明寺””長命寺です
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長命寺(関東風)の特徴】
・由来は江戸時代・徳川吉宗の時代に『長命寺』山本新六が考案して大ヒットしたそうです
関東風桜餅『長命寺』と呼ばれる理由には諸説あるもののこの『長命寺』という寺で初めて作られたことから、この名前がついたとの説が有力です
の主な材料は「小麦粉」です
・形は主に筒形は平らにするクレープに似ています

小豆あん「こしあん」です
桜の葉は1~3枚の「香りづけ」調整のため、店によって異なる)

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道明寺(関西風)の特徴】◆
・由来は長命寺明治30年以降に上方に伝わります元々京都には『道明寺粉』を使った餅を椿(ツバキ)の葉で包んだ餅菓子『椿餅』が有り、粉の名前の由来となった道明寺で古くから作られていました!ー元々、椿の葉で挟む『椿餅』が主流でしたが『長明寺』にならい、椿の葉に代わって桜の葉で巻くようになったことから、関西風『椿餅』つまり『道明寺が生まれました
の材料は「もち米」です
・形は丸い扁平(へんぺい)皮には粒がある
小豆あん「つぶあん」
桜の葉は1枚または2枚
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【椿餅の特徴】道明寺の原型です
椿餅2枚の椿の葉っぱで”あんこ”を包んだ『道明寺粉』の餅菓子です
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道明寺粉とは
・餅米で”ほしいひ・糒 (乾飯)と呼ばれていました
・伊勢物語にも”ほしいひ・糒(乾飯)が出て来ます
菅原道真の伯母が道明寺に棲んでおり供えられたご飯が健康に効くと話題になり道明寺のほしいひ・糒になったそうです
豊臣秀吉の時代にも道明寺のほしいひ・糒が献上され江戸時代には将軍家に献上されたそうです
道明寺のほしいひ・糒は商用登録された為道明寺粉になったそうです
道明寺粉は現代の餅米で作ったアルファ米に近い物と考えれば正解です
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イカ飯にはレシピが有り家人道明寺粉イカ飯を作った事が有るそうです
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”麩の焼き”とは
小麦粉菓子安土桃山千利休が考案した茶菓子です
”麩の焼き”クレープに近い茶菓子です
”麩の焼き”「お好み焼き」のルーツと言われています
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”助焼”とは”餡”を巻いています
”助焼”1600年代前半の江戸初期に生まれた焼き菓子で、どら焼きの原型だそうです
・作り方は、小麦粉水に溶いて薄く伸ばして焼き、その皮に”餡”を包むという物です
”麩の焼き””餡”を包んだものです
小麦粉を使っていたということで、”麩の焼き”と同様にー”お好み焼き”のルーツと言われています
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桜餅の全国分布図ですデータは”ウエザーニュース”のデータです
北海道桜餅の分布は北前船寄港地と関係が有るように思えます!ーがー
秋田県”長命寺なのは良く判りません
道明寺明治30年に作られています北海道の開拓の歴史と”高級菓子”の分布は微妙な関係が有ります
・当時はこんな”高級菓子”は食べられなかったと思います
・基本ー全く別物で有りー”両方の地方”の意味は良く判りません
岩手県・山形県・富山県・石川県・島根県”両方の地方”なのは単なる桜餅好きなのかもしれません
”長命寺江戸で生まれたので関八州が中心のようです
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島根県”長命寺の理由は判りません!ー何故?ー疑問です!
1説には
出雲大社詣の影響で江戸参詣客の好みに合わせた
・参勤交代で第7代藩主松平治郷(茶人)江戸から持ち込んだ
松江藩家老・有沢宗閑が御用菓子司の面高屋に江戸風桜餅を造らせた
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秋田県”長命寺の理由は判りません!ー何故?ー疑問です!
1説には
秋田県の菓子職人は東京とのつながりが強く京都でなく東京で修行し秋田県で店を開く菓子職人が多かった
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桜餅北海道の分布を入植出身地から推察して分布図を作成してみました
屯田兵の出身母体が雑多なので良く判りません
松前藩参勤交代で江戸の影響を受け長命寺です
八雲紀州藩道明寺です
仙台藩入植地道明寺です
斗南藩会津藩・津軽藩入植地道明寺です
島根県入植地釧路鳥根県の影響を受けたのかもしれません
釧路にはを販売する店が有るそうです
福井県・富山県入植地・奈良県・十津川村・広島入植地道明寺です
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当時の北海道では砂糖入植時には貴重品です
・当時北海道ではが採れず砂糖を使った菓子作りは高級品だったと思われます
北海道餅米が採れるまでには時間が掛かりー餅米道明寺粉にするなど考えられない時代です
・またー当時の北海道には小麦粉は栽培されていませんでした
・故には作られなかったと思います
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小樽の食文化は薄味で菓子職人は関西人が多かったそうです
・当時小樽は商業拠点でー米・砂糖が豊富に有ったと思われます
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