北海道に残り得た”記憶に残る案件”!

北海道に残り得た”記憶に残る案件”
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元上司の”回顧文書”が出てきました!ー色々有った上司ですが此の上司にとっても”記憶に残る案件”で有り私の存在は”記憶に残る部下”だったようです
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元上司の回顧文パ〇コ・親〇会・会報より2003年1月
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21世紀パ〇コへの応援メッセージ
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田〇茂〇
私は昭和41年入社で新入社員教育を6ヶ月間受けた後、福岡営業所に転勤になりました。
この当時はまだ航空写真測量が普及しておらず、客先に航空写真測量「航」の字から説明し、実測との違いを理解してもらった時代です。
実際に縮尺=1/5000についてはケルシュプロッターで図化し、1/500、1/1000図化などは、まだ技術的に難しく、一部で利用される程度であり、あまり普及していませんでした。
その後、昭和46年の都市計画法の改正で、1/2500都市計画図作成が全国各自治体から発注され、パ〇コ(旧パシッフィック航業)は数多くの市町村から受注し都市計画パ〇コとまで言われるようになり、現在もその当時の地盤を引き継いでいる市町村がかなり有ると思います。
私も、その当時、福島県を担当しており、平市、小名浜市、笏来市、常盤市等が合併して出来た新生「いわき市」より1/2500都市計画図作成業務を受注したことは、今でも、懐かしい想い出として残っています。
また、昭和57年頃から道路台帳作成業務が発注されるようになり、航測業界道路台帳一色に染まったと言っていい位に、営業マンは日夜、道路台帳を追い続けていました。
私も、この頃は北海道で函館市道路台帳を営業マンの太〇君(現札幌支店長)と追いかけていました。
この当時は、函館営業所の無い時代でしたが、太〇君は週2回のペースで片道4時間掛けて客先に出向き、様々な提案を試み、見事に受注しました。
函館市は、当社の重要な顧客であり、役員から”此の仕事が取れなかったら考えておけとまで言われ、太〇君とは、もし受注出来なかったら会社を辞めなければとまで話していました。
この時、太〇君が客先に提出した資料は大きなダンボール2箱にもなりました。
この函館市道路台帳が受注出来たのは太〇君の努力によるところが大なるところですが、それに加えて技術のバックアップがあり、営業と技術が一体となって立ち向かった成果ではないかと思います。
今は、まさにITの時代で、この業界もGIS部門(地図情報)については業界の先陣を切って20年近くも技術を積み上げて来ており、官公庁に対しての、実績はNo1かと想います。
これからも、客先のニーズを把握してより良い提案を行えば必ず受注に結び付くと思います。
パ〇コには、それだけ長く培った経験と知識、それと優秀な技術陣がバックに揃っているという事です。
現在の受注環境は、我々が営業して来た時代と違い非常に厳しく大変かと存じますが、優秀な営業マンと高度なGIS技術を持った技術者がそろっているのですから、困難と課題を克服して必ず良い方向に進むと思います。
皆さんの頑張りを期待しています。
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田〇茂〇さんは故人となられています
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此の”息子”が誕生した年で私にとって”最大勝負年”でした
此の案件”金額的”にも記録に残る案件北海道での航空測量の最高受注金額(4億5千万)未だ更新されていません私にとっては”勲章”です
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東京でなく札幌自分GIS企業19年間・開業出来たのも函館市での自信が培ったものだと思います
パ〇コは、色々な意味で自分を変えてくれた企業で有り”運””可能性””勇気”を与えてくれた企業でした
良き”先輩・同僚”にも巡り合えました
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関連サイト:https://www.pasco.co.jp/
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