”水車町”付近を歩いて来ました!

 ”水車町”付近を歩いて来ました
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”水車町”付近は”豊平川支川(水車川)”が流れておりこの支川(水車川)”7つの水車”が設置されて居た事から”水車町”と呼ばれています
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”旧河道(水車川)”と思われる”道”を歩いて来ました
”旧河道”1部遊歩道になっていました
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”今昔マップ(1916年大正5年)””地図記号ー水車”6箇所が記載されていました

”明治40年代の地図記号”ー水車です現在は此の”記号”は使用されていません
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水車町公園から”すいしゃ公園”遊歩道”を歩いて来ました
📷「水車町公園・札幌市豊平区」
📷「すいしゃ公園・札幌市豊平区」
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”水車町公園
・精米所(水車小屋)跡です
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”すいしゃ公園
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水車町遊歩道
水車町遊歩道由来です
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ー看板の文面です
水車町遊歩道由来
明治30年頃、水車町5丁目より豊平川の分流となって、 精米等の動力源として 活躍した水車川の水車は大正12年頃には稼働を止め、川は単なる流れに変わった、 更に昭和41年潅漑用の用途が廃止となってからは、近域の家庭排水が環境汚染に 繋がり、 地区の下水道が完備される昭和53年迄実に12年に及ぶ陳情の末、よう やく遊歩道として学童の通学路に生まれ替わる事が出来た。 この度水車町公園との 連帯感を計り、 人々に 「潤いのある憩いの場」 として、 再整備を行う。
平成10年9月22日 豊平第 14分区町内会
水車町遊歩道
完全に旧河道
旧河道・”札幌軟石蔵”が有りました”精米した米”を貯蔵していたのでしょうか
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水車川取水口
水車川現在”暗渠”になり”下水”扱いで
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”湯殿山弘周寺””難得龍神社”
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豊平川の分岐点付近合流点付近には難得龍神社湯殿山弘周寺が在ります
難得龍神社湯殿山弘周寺の配置は偶然だと思いますーが不思議な”縁が有るような気がします
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湯殿山弘周寺
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湯殿山弘周寺に行って来ました
良く判らない”寺院”です
📷「湯殿山弘周寺・札幌市豊平区」
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ー由来です
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ー鳥居です
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ー狛犬お狐様です
”寺院”なのに”狛犬”が有りました!ー”狐”に似ています
”良く判らない狛犬”です
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難得龍神社
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難得龍神社に行って来ました
📷「難得龍神社・札幌市豊平区」
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ー由来です
難得龍神社「由来」は愛媛県から入植した”中西みゆき”という女性が怪我治癒で豊平村の経王寺に参詣し経王寺より難得大龍神を授かり現在の地に「庵」を構えたのが始まりだそうです概ね明治30年から明治43年間の”逸話”だそうです
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難得龍神社・拝殿脇に張られていた”難得様の起源について”の書面です
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”難得様の起源について”の文面です「文面はそのまま記載します
難得様の起源について
① 現在の四国愛媛県より、 伊予大洲藩士であった私の祖父 「中西若太郎」 (慶応元年生まれ 昭和19年80歳で歿) 及び祖母 「みゆき」 (明治6年生まれ 昭和21年77歳で歿) 夫婦が北海道開拓の屯田兵 として樺戸郡浦臼村へ入植いたしました [明治30年前後と思われます] ②種々な困難の末、やっと生活が落ち着き始めた頃、 或る豪雪の冬に、 屋根より落雪が有り、 福舟が其の下敷きになって埋まり、複雑骨折の重傷 (特に腰部)を負ってしまいました。
地元の医師、 治療師等にかかっても到底快癒の見通しが無い由、 見放され てしまいました。 
② その後遺症に悩まされ、 土地、家全を受り払い札幌区に転居。
現在の豊平橋の札幌側の畔に居を構え、ささやかな店を開く (餅菓子屋らしい)。 当時の軍い 月寒連隊の兵士達が立ち寄り、 なかなか繁盛したということでした。
 ④その間祖母はあらゆる療法・・・・最後には祈祷師等にもかかったものの、段々悪化の一方で死を考えるようになりました。
 ⑤或る時、知人 (氏名は不明)の薦めもあり、 豊平の経王寺日蓮宗)にしたところ、 その時に初めて霊感を自覚し、 今までの宗旨(禅流を改め、 日蓮宗に帰依することになりました。
⑥ 経王寺のお堂に長期間篭り、 修行僧と一緒の寒修行を始め、 連日の 修行祈願及び奉仕に勤めたところ、 薄紙を剥ぐが如く健康体を取り戻しました [その間奇怪な現象が多々あったようです。
当時の経王寺のお上人様の日光上人より信傾心を彰され、 守護神として「難得大龍神」を授かったのが 「難得様」 の始まりであります「これゆえ神仏混交の形態をとっております] 
⑧ 当時同じ経王寺の檀家総代であり、 豊平地区の大地主でもあった 阿部予之助様 (豊平橋畔に住居) より水車町の現在地を購入。.. ささやかな庵を構えたのが「難得龍神社」 の始まりです。 その後戦前まで 阿部様も熱心な信者でありました。
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ー鳥居です
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ー拝殿です
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”水車町郵便局
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”水車町郵便局に立ち寄りました
📷「水車町郵便局・札幌市豊平区」
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”水車町郵便局「消印・スタンプ」です
”変わり者(私)「要求している意味」を最初は”郵便局員さんは理解出来ませんでした
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