聖地巡礼・吉村昭:著・「羆嵐」・(写真整理・第2弾)

吉村昭:著羆嵐の現場苫前町・三毛別に行きました
苫前町・市街地から”50分”バイクで走り山深い地区でした
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給油したスタンドのお兄さんに訪れる人は滅多に居ない”と言われました
私が”変わり者”に映ったようです”聖地巡礼”とは思わなかったのでしょう
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📷「苫前町・三毛別・事件の地」
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小説の内容は史実です
ヒグマの習性を考えると頷ける事件です
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史実によると
ヒグマ最初に太田家野外トウモロコシを漁る
太田家トウモロコシ室内にしまうヒグマトウモロコシを狙い室内侵入
ヒグマ女性を殺害(太田家)「太田マユ」さんでした
太田家女性の遺を埋葬(通夜)する
ヒグマ女性の遺体を”奪い取りに来る
ヒグマ女性(明景家に侵入)に執着し殺戮を繰り返す
住民との”駆除攻防”被害が拡大
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ヒグマの習性を理解していない悲劇の繰り返しでした
”ヒグマ”一旦獲得した獲物(此の場合:遺体)・覚えた味(此の場合:女性)執着します
”ヒグマ”獲得した獲物を全部食べず一旦土饅頭(熊の専門用語)隠し何回かに分けて食べます
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小説の内容さながらの内容の”看板”です
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看板”の文面です
本町の開拓にまつわる史実
大正四年十二月九・十の両日、冬眠を逸した1頭のヒグマが空腹から狂暴性を発揮し十人の婦女子を殺傷した事件がありました。
この図は害史上最大の悲劇の起きた明景宅(十日夜)を襲ったの足取りを示したものであります。は前夜(九日)襲った太田家の通夜に再び現れたあと、その足で明景宅を襲ったのです。ここには付近の女、子供達十人が避難をしていたのです。激しい物音と地響、窓のあたりを凄まじい勢で打ち破りイロリを飛び越え巨大なが崩れ込んできたのです。大鍋はひっくり返り焚火はけ散らされランプは消えて逃げまどう女子達はおそいかかったのです。臨月の婦人は「腹破らんでくれ」!!「のど喰って殺して」と絶叫し続け・ついに意識を失ったのです。このも事件発生後六日目(十四日)人智に抗しきれずあえなく最後を遂げたのです。は金毛を交えた黒褐色の雄身の丈二、七米・体重三四〇瓩・袈裟がけの七、八才と云はれております。
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小説では”偏屈羆打ち(猟師)”が登場しを仕留めます習性を知り尽くした猟師の勝利だったのかもしれませんこれも史実です
此の羆打ち・猟師その後の生涯羆打ち・信念”も史実の中に埋もれています
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現場は湿気が多く”蚊も多く”薄気味悪い場所でした
この場所は、大正4(1915年)年の開拓者の入植地で当時の入植者の条件としては極めて条件の悪い場所だったようです
当時・苫前町の海岸線は”鰊漁”で栄え被害にあった住民は”(留萌方面)から入った入植者”だったようです
条件の悪い入植地”に何故入ったのでしょうか?と思います開拓の”波”から外れた「貧しい開拓者」だったのかもしれません
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”ヒグマの人形”は大きい人形ですが小説内でも極めて大きい”ヒグマ”だったと書かれています
”三渓神社”があり熊害慰霊碑”が有りました
”三渓神社””熊害慰霊碑”です
別の場所に”三毛別熊事件跡地の碑"が有りました
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熊害を防ぐには”ヒグマの習性”を知る事が大切です
”ヒグマ”一旦獲得した獲物執着します
私も”登山”をするので十分に気をつけます
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