聖地巡礼・吉村昭:著・「羆嵐」・(写真整理・第2弾)
吉村昭:著の「羆嵐」の現場ー”苫前町・三毛別”に行きました!
苫前町・市街地から”50分”ーバイクで走りー山深い地区でした!
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給油したスタンドのお兄さんにー”訪れる人は滅多に居ない”と言われました!
ー私が”変わり者”に映ったようですー”聖地巡礼”とは思わなかったのでしょう!
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「苫前町・三毛別・羆事件の地」
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小説の内容は史実です!
ヒグマの習性を考えるとー頷けるー事件です!
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ー史実によるとー
①ヒグマが最初に太田家の野外のトウモロコシを漁る!
②太田家がトウモロコシを室内にしまう!⇒ヒグマがトウモロコシを狙い室内に侵入!
③ヒグマが女性を殺害(太田家)!ー「太田マユ」さんーでした!
④太田家が女性の遺体を埋葬(通夜)する!
⑤ヒグマが④女性の遺体を”奪い取りに来る!”
⑥ヒグマは女性(明景家に侵入)に執着し殺戮を繰り返す!
⑦住民との”駆除ー攻防”で被害が拡大!
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ーヒグマの習性を理解していない!ー悲劇の繰り返しでした!ー
”ヒグマ”は一旦獲得した獲物(此の場合:遺体)・覚えた味(此の場合:女性)に執着します!
”ヒグマ”は獲得した獲物を全部食べずー一旦”土饅頭(熊の専門用語)”に隠しー何回かに分けて食べます!
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小説の内容さながらの内容の”看板”です!
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”看板”の文面です!
本町の開拓にまつわる史実
この図は羆害史上最大の悲劇の起きた明景宅(十日夜)を襲った羆の足取りを示したものであります。羆は前夜(九日)襲った太田家の通夜に再び現れたあと、その足で明景宅を襲ったのです。ここには付近の女、子供達十人が避難をしていたのです。激しい物音と地響、窓のあたりを凄まじい勢で打ち破りイロリを飛び越え巨大な羆が崩れ込んできたのです。大鍋はひっくり返り焚火はけ散らされランプは消えて逃げまどう女子達に巨羆はおそいかかったのです。臨月の婦人は「腹破らんでくれ」!!「のど喰って殺して」と絶叫し続け・ついに意識を失ったのです。このー巨羆も事件発生後六日目(十四日)人智に抗しきれずあえなく最後を遂げたのです。巨羆は金毛を交えた黒褐色の雄身の丈二、七米・体重三四〇瓩・袈裟がけの七、八才と云はれております。
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小説では”偏屈な羆打ち(猟師)”が登場しー羆を仕留めます!ー羆の習性を知り尽くした猟師の勝利だったのかもしれません!ーこれも史実です!
此の”羆打ち・の猟師”のその後の生涯と”羆打ち・の信念”も史実の中に埋もれています!
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現場は湿気が多くー”蚊も多く”ー薄気味悪いー場所でした!この場所は、大正4(1915年)年の開拓者の入植地でー当時の入植者の条件としては極めて条件の悪い場所だったようです!
当時・苫前町の海岸線は”鰊漁”で栄えー被害にあった住民は”山(留萌方面)から入った入植者”だったようです!
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”ヒグマの人形”は大きい人形ですがー小説内でもー極めて大きい”ヒグマ”だったと書かれています!
別の場所に”三毛別熊事件跡地の碑"が有りました!
熊害を防ぐにはー”ヒグマの習性”ーを知る事が大切です!
ー”ヒグマ”ーは一旦獲得した獲物に執着します!
私も”登山”をするので一十分に気をつけます!
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