北海道の炭鉱・炭田に係る歴史!
北海道の歴史を考える場合ー北海道の炭鉱・炭田!ーの歴史は必須です!
”産炭地の人”は?”何処から来たのでしょうか?!
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北海道の”炭鉱開発”は江戸時代末期に始まります!
ー江戸時代・末期ー
泊・茅沼炭田・白糠炭田は函館奉行所によりー1864年・安政3年頃に採炭されたとの記録が有ります!
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ー明治維新後ー
明治維新後の北海道の炭鉱の歴史は茅沼炭鉱(官営炭鉱・明治2年)に始まり⇒幌内炭鉱の拡大・幌内鉄道の敷設(官営企業・明治15年)⇒幌内炭鉱・幌内鉄道の払下げ⇒北炭の誕生(北海道炭礦鉄道株式会社・明治23年)⇒四大財閥ー三井・三菱・住友・大倉鉱業(大正元年)の炭鉱開発⇒戦中・戦後の増産⇒石油への転換⇒閉山ーと推移していきます!
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ー現在ー
現在は、奈井江・砂川の小規模な露天掘りー釧路の太平洋炭鉱のみが”石炭の産出”を行っています!
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ー明治維新後の最大の特徴はー北炭の誕生(北海道炭礦鉄道株式会社・明治23年)です!ー
官民癒着と「開拓使官払下げ事件(五代友厚)」を擦り抜けて設立された会社です!
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ー炭鉱従事者(北炭・幌内炭鉱・明治38年・1905年の記録)ー
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”炭鉱従事者”もー北海道開拓ー入植者の来道に併せー東北・北陸方面の人が多いようです!
注目はー北海道内から”炭鉱従事”への参入が多い事です!
離農者ー開拓の挫折ーと色々な事情が有った人が⇒”炭鉱に”救いを求めたのかもしれません!
※産炭地域は色々な事情から⇒”各地方の混在地帯”となって行ったようです!
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ーエピソードー
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ーその1:ー 豊富町・日曹炭鉱(日本曹達)ー
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「豊富町・日曹炭鉱跡」
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豊富町には”日曹炭鉱”が有りました!
炭鉱の存在は”街”の”発展”と”衰退”の歴史です!
”豊富町”は「石油を含んだ温泉ー豊富温泉」で有名です!
”アトピー性皮膚炎・皮膚病・火傷の療養”に効くようで”長期の湯治客”が多くー”厚労省”も認可しています!
”源泉の温泉”に入るとー”綺麗な体が申し訳ない”ーと思う位の”湯治客の方”が多いです!
”源泉の温泉”と”一般の温泉”の2種類が有ります!
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ーその2:ーT君と赤平・住友石炭ー
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「赤平市・住友石炭」
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”T君”の専攻は”応用地質”でー”山”ー”地質”の拘りが強かったものと思います!
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ーその3:ー 三菱・”つくも会”ー
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「美唄市・炭鉱メモリアル森林公園」
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サラリーマン時代の”私の会社”は”三菱系列”の会社でー”札幌の三菱グループの集まり”ー”つくも会”が有りました!ーこの会を仕切っていたのは”三菱銀行札幌支店・三菱商事札幌支店”と”三菱・美唄炭鉱”のOBでした!北海道において”三菱・美唄炭鉱”の存在は大きい物でした!
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ーその4:ー 訪れた炭鉱・周辺ー
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ツーリングで”炭鉱跡地・巡り”を沢山しました!①岩見沢・万字炭鉱・国鉄万字線(北炭)
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「岩見沢市・万字炭山森林公園」
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全く知らない”炭鉱と鉄道路線”でした!
炭鉱の存在を物語る施設は有りませんでしたがー”鉄道資料館とずり山”が残っていました!
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➁沼田ー幌加・明治炭鉱(浅野炭鉱)
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「沼田町・幌加・ホタルの里」
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此の地に”炭鉱”が有った事を知る人は少ないです!
山深い地区で”キャンプ”をしようとしたらー”熊が出る”から止めなさいーと言われました!
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③羽幌・羽幌炭砿(太陽産業)
此の地に”炭鉱”が有った事を知る人は少ないです!
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④三笠・卉別炭鉱(住友)
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⑤上砂川・三井砂川炭鉱
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「上砂川町・無重力実験センター」
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サラリーマン時代に”観楓会”でー”上砂川温泉パンケの湯”に何度も行きました!
上砂川町は”寂れてー哀愁の有る街”です!ー「昨日・悲別で」の印象が強いのでしょうか?
当時、温泉から”くり出してー上砂川の街”によく飲みに行きました!
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繁栄の跡地も沢山の残されていますがー閉山後は農地も無くー産業も芽生えずー過疎の”街”になって行きました!
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ー”上砂川の「地下無重力実験センター」”ー炭鉱の立坑を急降下させ無重力状態を作る施設ですー今は「パットしません!」ー
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此処に”イトカワ”と”はやぶさ”の名前が記載された案内板が有ったのは驚きです!
”イトカワ”と”はやぶさ”が注目される以前の写真です!ー今月6日に”はやぶさ”の報道がありー上砂川が”はやぶさ”に貢献していることを再認識しました!
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⑥芦別炭田(三井)
芦別炭鉱の規模は大きかったのですが!ー”過去を物語る施設”は少ないです!
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⑦夕張炭鉱(三菱)
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「夕張市・石炭の歴史村」
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現在は”財政再建団体”となりー今年JR夕張線も廃止ー石炭の歴史村も休園中ーです!
鈴木北海道知事(前夕張市長)も頑張って来ましたがーなかなか難しい財政状況にあります!
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ーその5: ー炭鉱と鉄道ー
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「三笠市・鉄道記念館」
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小樽(手宮)⇔幌内間(幌内鉄道)は日本で2番目に開設された鉄道路線です!
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幌内鉄道(官営企業・明治15年)で発足し⇒払下げ⇒北炭(北海道炭礦鉄道株式会社・明治26年)⇒国鉄(明治39年・鉄道国有法)⇒JR北海道(昭和62年)となりました!
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三笠の幌内炭鉱⇒岩見沢の操車場⇒札幌⇒小樽が鉄道のライン(石炭の積み出し)です!
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”赤”が「小樽⇔幌内」日本海・ルート!
”青・緑”が「岩見沢・夕張⇔室蘭」太平洋・ルート!
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”夕張炭鉱”の開発で”室蘭⇒太平洋ルート”が生まれー此れが”小樽の衰退”に繋がります!
ー北前船ルートの終焉ーで”北海道の歴史の分岐点”になったと思います!
更に”三井”が開発した”釧路・太平洋炭鉱”は太平洋ルートに拍車をかけたと思います!
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幌内線と室蘭線の分岐点で「岩見沢は操車場」として発展しました!
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ーその6: ー 名産品ー
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炭鉱地域ならではの”此れといった食文化”は余り見当たりません!美唄の”鶏飯”ー”美唄焼き鶏”ー芦別の”ガタタン”が有りますがー地域性・出身母体を思わせる食品は見当たりません!
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”べこ餅”は「炭鉱労働者の携帯食品」として普及していたようです!
”芋餅”も「産炭地域」で普及していたかもしれません!
”べこ餅”について深堀してみました! (ootakatsumi.blogspot.com)
"べこ餅"の分布図はー意図的に作った訳ではありませんがー”産炭地”と整合します!
ーその7: ー ドラマー
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上砂川町は”昨日、悲別で”のロケ地でー「閉山後の若者達の哀愁」が漂っていました!
ロマン座跡ー最盛期は”繁栄の象徴”だったのかもしれません!
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ーその8: ー美人ー
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サラリーマン時代は”色々な飲み屋さん”に行きましたー札幌の”飲み屋さん”では”産炭地域出身”の”ママさん・従業員”に美人が多かったです!
全般に”産炭地出身の女性”は美人が多いです!ーがー気が強くー独立志向の強い”女性が多かったです!
掘り下げてー親御さんの出身母体ーを聞くべきでした!ー何かが!見えたと思います!
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ー写真は”すべて撮影写真です”ーーーーーーーーーーー
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